1996年5月22日 ウスター歴史博物館 広報 ウスターに住むハーベイ・ボール氏が地元の会社の接客キャンペーンの一環としてデザインしたスマイリー・フェイス・バッジは、1970年代に国中で大流行した。その時代を生きたアメリカ人にとってのシンボルとなったスマイリーとボール氏に焦点を当てた展覧会「Have a Nice Day」展がウスター歴史博物館で開催されており、8月18日まで延長される事になった。 スマイリー・フェイスはステート生命保険の為に生み出されたが、会社の壁を越えてその生命を獲得した。商標として登録されなかった為、オリジナルと似た数限りないバリエーションが作り出された。その広い年代に渡る人気にメーカー達が着目し、バッジ以外の製品の市場が注目を浴びた。マークがべたべた貼られた商品が何百種類も出回った。 1971年までにスマイリー・フェイスは国内で最も人気のあるマークとなり、およそ5,000万個のバッジが売られた。アメリカ人口の4分の1に当たる人々が1個ずつ購入した事になる。市場はすぐに飽和状態となり、流行は去っていった。 しかしスマイリーは完全に姿を消した訳ではなかった。80年代の終わりに60年代と70年代のシンボルの復活としてカムバックを果たし、今日も健在である。30代の人々にとってスマイリーのマークは70年代初頭の成長期を懐かしく思い出させてくれる。 ウスターに生まれ育ったボール氏はサウスハイスクールに進み、3年生の時にウスター在住の画家の下に弟子入りをして、強い印象を与える視覚イメージを創作する方法を教わった。彼は1940年にウスター美術学校の奨学金を得て、美術を学んだ。 第2次世界大戦で兵役に就いた後ウスターに帰って広告代理店に勤務したが、1959年には独立し「ハーベイ・ボール広告店」を始めた。1963年に、現在のアルメリカであるステート生命保険から「フレンドシップ」キャンペーンの依頼を受けた。ボール氏はキャンペーン全体の報酬としてバッジ作成代の45ドルを含む240ドルを受け取り、それ以上スマイリー・フェイスのデザインで利益を得る事など考えもしなかった。彼のスマイリー・フェイスは円の中に細く曲がった口を持ち、その右端は左端よりも厚く長くなっており、色は鮮やかな黄色であった。 ボール氏は今でも生まれ故郷でグラフィックデザイナーとして働いており、ダイレクトメールやパッケージのデザイン、また宣伝業務等を行い多くの顧客がいる。彼は職業軍人としての顔も持っており、1979年に引退するまで37年間を州兵軍の軍人として過ごした。1990年の共和党の書き込み投票キャンペーンにおいて、彼は自らがスマイリー・フェイスの創始者であるという事を宣伝した。 「Have a Nice Day」展はウスター歴史博物館のロックウェルギャラリーにて8月18日まで開催されている。開館時間は火曜日から土曜日までが午前10時〜午後4時、日曜日が午後1時〜午後4時。入場料は2ドルで、会員と18歳以下は無料。 ウスター歴史博物館は全ての地域と年代に渡るウスターの歴史を収集し、保存し、解説をしている市内唯一の博物館である。「Have a Nice Day」展について、あるいは博物館に関する他の情報について更に知りたい場合はウスター歴史博物館に直接ご連絡下さい。 |